2010/12/06

23年前

ちょいと昔々の話。

昭和62年12月5日

当時5歳の僕は兄の真似をして
公文式に遊びに行ってました。

通ってたというよりは
迷路とかカルタとかをしに遊びに行ってた。
って表現がぴったり。

公文から家までは5~600mくらい。
今思えばそう遠くない距離。

でも、その日は天気が悪かった(らしい)

午後6時頃、ちょうど今くらいの時間。
あたりは暗くなっていて、一人では帰れない時間。

そこで先生のお母さんに送ってもらう事に。


手をつないでもらい、二人でてくてくと家に向かう。

ちょうど半分くらい迄来たあたり。


おばあさんと僕はトラックにはねられた。


町の主要道路だったが横断歩道に信号はなく

左折してきたトラックの死角に入ってたみたい。

衝撃でおばあさんは腰の骨を折ってしまう。

僕はどういう経緯でかわからないけど
十数メートル離れたガードレールまで飛ばされ頭蓋骨を骨折。

おばあさんは3ヶ月の入院。

僕は17針を縫う怪我+手術。
丸一日意識を失ったままだったそうです。

このまま意識が戻らないかもしれない。
命は繋いでも起きないかもしれない。
目を覚ましても体を動かせないかもしれない。

そんな事を言われた親はすごく辛かったと思う。
狂ってもおかしくない。

一日寝続けて、目を覚ました僕が最初に言った言葉
「目が見えない、真っ暗」

この時母は相当なショックを受けたと言ってた。

なんの。

包帯でぐるぐるになってただけ。
目のところにも包帯があっただけ。
外したら見えた。

そして一週間で退院。

抜糸や経過を見るために片道1時間の通院は続いたけど
幸いにも後遺症など無く、これまで元気に育ててもらった。

思春期の頃には傷痕が気になって髪も伸ばしてた。
雨に濡れたらハゲが見えるから気にしてた。

今はそんな事どうでもいい。
その数年後、転勤で県外に行くことに。

それ以来おばあさんと連絡をとっていないけどふと思い出した。

今の実家から2時間位だから今度帰った時には行ってみようと思う。
そして事故後に設置された信号機に「おれのおかげだ」なんて言ってみよ。


子を持つこと、親がいること。
それは当たり前じゃない。

健康でいること、元気でいること。
それは充分に幸せなこと。

なーんてね。

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