ちょいと昔々の話。
昭和62年12月5日
当時5歳の僕は兄の真似をして
公文式に遊びに行ってました。
通ってたというよりは
迷路とかカルタとかをしに遊びに行ってた。
って表現がぴったり。
公文から家までは5~600mくらい。
今思えばそう遠くない距離。
でも、その日は天気が悪かった(らしい)
午後6時頃、ちょうど今くらいの時間。
あたりは暗くなっていて、一人では帰れない時間。
そこで先生のお母さんに送ってもらう事に。
手をつないでもらい、二人でてくてくと家に向かう。
ちょうど半分くらい迄来たあたり。
おばあさんと僕はトラックにはねられた。
町の主要道路だったが横断歩道に信号はなく
左折してきたトラックの死角に入ってたみたい。
衝撃でおばあさんは腰の骨を折ってしまう。
僕はどういう経緯でかわからないけど
十数メートル離れたガードレールまで飛ばされ頭蓋骨を骨折。
おばあさんは3ヶ月の入院。
僕は17針を縫う怪我+手術。
丸一日意識を失ったままだったそうです。
このまま意識が戻らないかもしれない。
命は繋いでも起きないかもしれない。
目を覚ましても体を動かせないかもしれない。
そんな事を言われた親はすごく辛かったと思う。
狂ってもおかしくない。
一日寝続けて、目を覚ました僕が最初に言った言葉
「目が見えない、真っ暗」
この時母は相当なショックを受けたと言ってた。
なんの。
包帯でぐるぐるになってただけ。
目のところにも包帯があっただけ。
外したら見えた。
そして一週間で退院。
抜糸や経過を見るために片道1時間の通院は続いたけど
幸いにも後遺症など無く、これまで元気に育ててもらった。
思春期の頃には傷痕が気になって髪も伸ばしてた。
雨に濡れたらハゲが見えるから気にしてた。
今はそんな事どうでもいい。
その数年後、転勤で県外に行くことに。
それ以来おばあさんと連絡をとっていないけどふと思い出した。
今の実家から2時間位だから今度帰った時には行ってみようと思う。
そして事故後に設置された信号機に「おれのおかげだ」なんて言ってみよ。
子を持つこと、親がいること。
それは当たり前じゃない。
健康でいること、元気でいること。
それは充分に幸せなこと。
なーんてね。
0 件のコメント:
コメントを投稿